亀井義行について
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亀井義行(かめいよしゆき)
1982年7月28日生まれ。
奈良県出身の読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手。 |
亀井義行プロ入り前
小学3年生で野球を始め、中学時代はボーイズリーグ「オール大和」のエースとして全国大会、ボーイズリーグ日本代表として世界大会を制覇。
上宮太子では本格派右腕として活躍、3年春にセンバツ出場を果たした。
中央大学に進学後は野手に転向し、1年春から4番として出場。東都大学野球リーグにおいてMVP1回・ベストナイン3回を受賞し、4年時には東都通算10人目の通算100安打を達成、主将として平成16年秋季リーグで中央大学25年ぶりの1部リーグ優勝に貢献した。その頃のニックネームは「東都のイチロー」。リーグ通算108試合出場、401打数101安打、打率.252、13本塁打、53打点。
2004年のドラフト会議において読売ジャイアンツに4巡指名され、入団する。
亀井義行経歴
二軍で打率.320、10本塁打、6盗塁と活躍し、ルーキーながらシーズン終盤に一軍に昇格。プロ初安打・初打点を記録した。
俊足強肩を生かした守備と二軍の主砲としての打棒を買われ矢野謙次から開幕スタメンを奪取。3月31日の横浜との開幕戦に8番・右翼手で出場。その試合の初打席にタイムリーツーベースを放つなど、3打数2安打4打点と活躍。6月29日には横浜山口俊から初本塁打を放った。しかしシーズン中盤に打撃不振に陥り、矢野にレギュラーを取り返され二軍に降格。結局このシーズンは141打数で四球はわずか5、出塁率も.233と低迷した。一軍レベルの投手に対応出来ず、また「シーズンの最後まで一軍の打席では足が震えていた」と語るなど精神的な課題も残した。
1番打者候補として右翼手の高橋由伸さえも脅かす存在とまで期待されていたが、淡白なバッティングは解消されておらず、プロ入り後最少の一軍出場機会となった。7月12日の阪神戦で、2アウト満塁という場面で代打で起用されたが、全5球中1度もバットを振ることなく見逃し三振を喫し、「消極的な打者」というイメージを残す結果となった。
谷佳知の打撃不振により開幕6試合目にスタメンに抜擢されると、高橋由伸、小笠原道大と共にチーム9年ぶりとなる3者連続ホームランを放ち、この年のチーム初勝利に貢献。5月からは1番としてスタメンに定着し、坂本勇人との若手1・2番コンビを組んだ。しかし、5月26日の日本ハム戦で、二塁に滑り込んだ際に右足関節を捻挫し、出場選手登録抹消。2ヶ月後の7月25日に1軍復帰するが、それ以降はレギュラーに定着できず、谷との併用が主だった。中日とのクライマックスシリーズでは第1戦で負傷した鈴木尚広に代わって第2戦から1番でスタメン出場。14打数7安打1打点の活躍でチームの日本シリーズ出場に大きく貢献、日本シリーズでも活躍、最終戦では5番を打った。
亀井義行のプレースタイル
右投左打の外野手で、高い守備力と強肩、思い切りのよいバッティングが持ち味。
現在フォーム固めに腐心していおり好不調の差が激しいが、2008年はチームトップレベルのボールを芯で捕らえる技術で、日本シリーズ出場に貢献した。
プロ入り通算112安打で二塁打を36本記録している。
亀井義行のエピソード
チーム内で仲の良い選手は三浦貴外野手だった。2008年現在は坂本勇人、鶴岡一成と仲が良い。特に鶴岡は私生活でも交流がある。
中央大学の先輩には同じく読売ジャイアンツの阿部慎之助、堀田一郎(現チーム二軍マネージャー)がいる。「ズームイン!!サタデー」内のスポーツコーナーでチーム内の3人で「中3トリオ」を結成。亀井義行は「三男」という位置づけとなっている。
目標のプロ野球選手はイチロー。プロ入り後に初めてジャイアンツ寮に入寮したとき「イチロー選手物語」という文庫本を持参したほど。
2005年シーズンオフに夫人と入籍、2006年8月11日、第一子となる長男を授かる。
最初の背番号25番は尊敬している高橋由伸の24番の次の番号を自分で要求したもの。
2007年李承Yが背番号を33から25に変えたため、背番号が25から35に変わる事となった。35番は、同じ右投げ左打ちの清水隆行や淡口憲治の出世番号でもある。2009年シーズンからは背番号9に変更、清水隆行と同じコースをたどることとなった。
打席に入るときのBGMは2007年まではFUNKY MONKEY BABYSの「そのまんま東へ」だったが、2008年からは湘南乃風の「黄金魂 」。
ウイニングイレブンが好き。
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