選手のことを中心に情報満載のプロ野球名鑑

山口鉄也
読売ジャイアンツ山口鉄也のプロフィールや画像

山口鉄也について

山口鉄也画像   山口鉄也(やまぐちてつや)
1983年11月11日生まれ。
読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(投手)。

山口鉄也プロ入り前

横浜市立の小学校1年時から少年野球チーム・にて野球を始める。
中学校では軟式野球部に所属。3年時にはエースとして全日本少年軟式野球大会ベスト4進出。
横浜商業高校3年夏にはエースとして県大会ベスト8進出。
高校卒業後は大学に進学する意向だったが、アリゾナ・ダイヤモンドバックスのスカウトから誘いを受けマイナー契約を結び、ルーキーリーグのミズーラ・オスプレイで4年間プレーした。
2005年10月、横浜ベイスターズと東北楽天ゴールデンイーグルスの入団テストを受けるが、どちらも不合格になった。最後に受けた読売ジャイアンツの入団テストで合格し、同年に初めて開催された育成選手ドラフトでの指名を経て巨人に育成選手として入団。

山口鉄也経歴

2006年
イースタン・リーグで25試合に登板、防御率1.61の成績を残した。2006年オフにも支配下登録契約が結ばれると報道されたが、選手枠などの事情から見送られた。
2007年
2軍で5試合に登板し無失点と好投を続け、4月23日支配下登録の契約を行った。巨人で育成選手から支配下選手登録された選手は松本哲也に次いで2人目となる。
4月26日には一軍昇格を果たし、4月29日に初登板、1回無失点に抑える。巨人における育成選手枠での入団選手として初の1軍公式戦出場選手となった。5月9日、甲子園での阪神戦に4番手として登板、9回に巨人が逆転し初勝利。育成選手枠出身の選手で初の勝利投手になった。その後も林昌範の故障で空いた左の中継ぎというポジションを一人で担い、優勝に貢献した。オフシーズンの契約更改では大幅昇給した。
2008年
シーズン序盤から先発陣が苦戦する中、西村健太朗・越智大祐とともに中継ぎの柱としてチームを支え、首脳陣からの信頼を得る。また、山口鉄也が登板するとチームが勝ち越し・逆転する機会が多く、9月13日にはシーズン10勝を達成。すべて救援登板での2ケタ勝利は巨人史上初であった。最終的にシーズン通算で67登板・11勝を挙げ、リーグ連覇に大きく貢献した。この活躍により、新人王を獲得。

山口鉄也のプレースタイル

リーチの長い腕から放たれる、140km/h台後半の直球(最速152km/h)とキレのあるスライダーを左打者の外角へ集める。
2007年に一軍昇格後にはシンカーを習得(フォークボールだとも言われる)、他にカーブを投げることもある。
長い腕を活かした、左打者の「背中から来る」ようなクロスファイヤー投法は威力十分だが、右打者に対しては制球に苦しむ傾向があり、2007年は左打者に対するワンポイント起用が多かった。2008年は、前年から右打者対策として習得していたシンカーの制球が良くなったこともあって左右の差をほとんど苦にしなくなり、2イニング以上のロングリリーフを任される機会も増えている。

山口鉄也のエピソード

中学3年で出場した全日本少年軟式野球大会には、同じく神奈川県のクラブチームである横須賀スターズの早坂圭介が出場していた。
巨人に入団するより前、横浜ベイスターズの入団テストを受けており、その場に居合わせた当時現役の佐々木主浩が獲得を強く勧めたが、球団フロントは採用しなかった。また、その後に受けた東北楽天ゴールデンイーグルスの入団テストでも不合格になっている。
巨人の入団テストの際は、吉村禎章2軍監督が「スライダーを伸ばせば一軍の左の中継ぎとして使える」と考えた事が合格の大きな一因となった。
リトルリーグ時代はエースとして活躍していたが、当時の山口鉄也が投じる球は自然にシュートがかかってしまう(ナチュラルシュート)為、変化球を禁止とするリーグにおいて、上級生になってからはリーグ運営側からピッチャー禁止と警告を受けた。
現在はセットアッパーとして起用されているが、山口鉄也本人は力をつけた後に先発へ挑戦したいと希望している。 同期の越智大祐とプライベートでも仲が良く、練習でもパートナーを組むことが多い。
チーム内での愛称は「ぐっさん」。
Copyright (C) baseball.lailas.jp , All rights reserved.